のれんは平安時代からあった
元々は屋内の防風や遮光、目隠しとしてのれんは使われていました。
今では閉店の時間になるとのれんを片付けるので、掛かっていると
営業中の合図になります。
そんなのれんの歴史はいつごろから始まったのでしょうか。
布の看板とも呼ばれるのれんは、アメリカやヨーロッパはもちろん、
アジア、中国でも決して見かけることはできない日本独特のものです。
その発祥は定かではありませんが、平安時代末期の絵巻物に庶民の
家にのれんが掛けられている絵が描かれていることから少なくとも
平安時代にはあったといわれています。
当初は日差しや風、塵や人目をよけるなどの目的で農村、漁村、
山村の家の開放部に掛けられていました。
デザインは白無地や色無地が主流でしたが、そこに何かしらの
意匠が入るようになったのは鎌倉時代以降です。
のれんの真ん中に様々な文様が描かれるようになりました。
それ以前はせいぜい色によって業種を表すくらいで、
鎌倉時代以降にメッセージとしての役割が意識される
ようになってきました。
室町時代から独自の意匠が取り入れられるようになる
室町時代になるとあらゆる商家がそれぞれに独自の意匠を
取り入れ、屋号や業種などを知らしめるメディアとしての
機能も持つようになりました。
といっても、当時は文字ではなくて動植物から道具類を
かたどった文様や、天文地理や単純な記号で表していました。
これは、識字率の低かった当時は文字よりも物の形の方が
わかりやすく、印象に残りやすいからです。
のれんに屋号などの文字が入るようになったのは安土桃山時代末期から
といわれています。
江戸時代に入って庶民の識字率が高くなると、文字の入ったのれんが
広く使われるようになりました。
特に、寛永・延宝年間になると屋号、業種、商品名などを
白抜きしたデザインが多くみられるようになり、商家の広告媒体
として普及しました。
また、このころから素材が染色が困難な麻から染色しやすい木綿に
変わり色も多様化していきました。
色の使い分けについては伝統的に業種によって決まっていたようで、
そのルールを破ったばかりに人々の笑いものになり店じまいせざるを
得なくなった呉服屋の例もありました。